Hiura in New York

1994年に書いた物です。

*ニューヨークへ行くぞ!

 ‘94、6月2日

 Unitd Airline 802、1994、6月2日、17:30、成田発、そして目的地ニューヨークへは、Newark空港着、日本時間で3日の6:00、現地時間ではまだ2日の17:00、時差の関係で過去の時間へさかのぼりしたわけだ。
 機内は、がらがらで僕も3席を使えると言う、ゆったりとした状況ではあったけど、興奮して寝れないし、ねなければ時差ぼけも少ないと思ったのでもっぱら機内で流している、映画を見たり、地球の歩き方というガイドブックを見たりして過ごした。まあ夜型人間がニューヨークへ行ったら、早起きな日本人に変わるだけだ。ただ、飛行機に乗り込んで最初にもらえるドリンク、ワインをもらって気持ち良くなってほんの数分、寝てしまったために、最初の機内食のディナーをもらい損なって、悲しい思いをした。なんとか慣れない英語で、チャンスを伺って、鳥料理と赤ワインにありついた、この機内食を見越して、成田ではビールを飲んだだけだったので、逃せない食事だったわけです。
 機内でやってた映画に感動した、アンソニーホプキンス主演の映画が良かった、タイトルは忘れてしまったけど、主人公が晩年になって本当の愛を知り、彼女がすぐに癌に犯されていたことに気づいた時には、愛しすぎる位に愛していて、彼女を失う苦悩の中、彼女からの言葉、`、、、判ってほしいのは、私が死ぬとき、その時の悲しみは、今の幸せの一部なの、、、、`この言葉に一言では言えない、人を愛するということの、はかなさと永遠、みたいなものを感じた、日本に帰ったら、また見よう。そし2本目、メリルストリープ、ウィノラライダー、そしてガープの世界や危険な情事に出てきた女優さんが出てた映画も大作だった。これも日本に帰ったらチェックしよう。

*アメリカ大陸だ

 約8時間後、搭乗機が揺れだした、割と揺れもなく安定した飛行が続いていたので、驚いて窓を開けるともうとっくに明るかった、眼下におそらく、ロッキー山脈だろう、雪の残るそれが見えた、アメリカ大陸だ、やっと来た、34歳で初めて目にする、憧れの大陸、北アメリカ大陸、カナダあたりだった。そしてまだ人類未到じゃないかと思える、岩盤だけを露出している地球の一部を眺め、もうすぐニューヨークだなと思いながら、また窓のシャッターを閉めた。

*マンハッタンが見えた!

 約10時間後、朝食が運ばれてきた、食べ終えてしばらくすると、後数分後に、ニューアーク空港に着くというアナウンス。先日からの喉の痛みと、下痢気味のお腹のせいで、やや不快な気分でいたところ、窓の下に模型のような町が見えてきた、このあたりは、田舎なのかなあって感じの家並み、なぜかツインピークスを思い出す。水色にひかるプールが見える家もたくさんある。搭乗機はさらに高度を下げ、大きく旋回した、見えてきましたよ!、とてつもない街を作ったなあ、マンハッタンが見える。エンパイアステートビル、ツインタワー、そして自由の女神が、まるでおもちゃのように、心は1800年代後半、移民がこの女神を見て、不安と希望に胸膨らませた、そんな感じ。

*いよいよです!

 通関をすませ到着口に進む、お迎えの川上さんと後一人の方、二人が、カタカナで書いた、ヒウラという札を持って迎えてくれた。車でリンカーントンネルを通り、宿泊先のルネッサンスホテルへ。7th Avenueの47丁目、近ずくにつれて、ガイドブックでみた物が目の前に広がる。ミュージカル、キャッツの看板が見える。車の窓からどこをみてもいわゆる外人ばかり、何かアジア人であることのコンプレックスを感じた。チェックインをすませて、川上さんとホテルのバーで軽くビールを飲みながら、雑談、思っていたほどこの街は、恐くないらしい。もういっぱいのみますか?と店員のお姉さんに言われて、Noと言ったのがこの街で初めて口にした英語だった。

*スイートベイジルへ

 ホテルのボーイが鋭い音の笛を吹いて、イエローキャブを拾ってくれた。はじめてイエローキャブに乗った。そしてヴィレッジにある、スイートベイジルへ着いた。中野さんに初めて会った、思っていた人とは全然違って、彼はアーティストだった。ビール、サラダをいただきながら、はなしているうちにその日のライブが始まった、なんとすごい、すごいのだけど名前を度忘れしてしまった、また後日、報告しよう、とにかくすごい人がギターを弾いていた。そして中野さんのご厚意で、マンハッタン一周ドライブへ出かけた、ハドソン川沿いから、バッテリーパーク近くに南下して、ブルックリン橋を通り、またもどって、マンハッタンの東側から、国連ビルを通り、ハーレムと呼ばれる、ブロンクスをぬけ、classのcdもあるという、やおはんと言う、日本人向けのスーパーを左に見つつ、またリンカーントンネルを通って、マンハッタンヘ。それから、セントラルパーク、ダコタハウス、ティファニー、ゴーストバスターズに出てくる図書館、消防署、カーネギーホール、その他、覚えきれないくらい、見せてもらった。
 そして余りに眠いので、ホテルに帰って12:30、風呂に入って眠りにつく、明日は、楽器屋さん、マックやさん、ヘリツアーに行ってみよう。

*マーチンが欲しい!

`94、6月3日

 夕べは、まだ時差ボケとまだ興奮気味で、あんまり眠れなかった。午前10時位に、睡眠不足気味の体を起こし、シャワーを浴びて出掛ける。行き先は決まってる。先ずは楽器屋さん。7th Avenue,48th Street、ここはホテルの目の前、日本で言えば、お茶の水の楽器屋さん街を小さくしたような通りがある。まず入った店は、マーチンが一本しかない。話にならない。気を取り直して、それらしい次の店へ。ありましたよ、有りました、マーチンが20本位(僕は中学の頃、石川鷹彦さんの`ギターのすべて`と言う本を読んでからこの20年間、マーチンを買う日を夢見ていたのです、それがニューヨークで買うなんてかっこよすぎる、尼崎さんありがとう。)、また本数が有りすぎると悩む物で、さんざん、あれ弾いてもいいですか、これいいですか?と言いながら、弾きまくりました。でも結局一番いいなあと思ったのは、D?45。これが新品で、いい音するわけだ。4、200ドル。買おうか、どうしようか迷いに迷ったあげく、I`ll come tomorrow,I promise.と言って一応、焦ることを自分で抑制したわけです、TAKA(スイートベイジルの中野さんが僕を外人さんに紹介するとき、こういう風にタカと紹介するので、僕はニューヨークではTAKAで通っている。)も大人になったものだ。
 この店で1時間位、マーチンを弾きまくっている間に、日本人が4人来て、ギターを物色していた、その中の3人組に、早くも日本が恋しくなってる僕は声をかけてみた。とてもギターのコレクションに凝ってる人達みたい、ギブソンのセミアコをもうポーンと買っていった。そうなんです、ぼくも、マーチンだけじゃなくてレスポールやストラト、テレキャスターなんかもほんとは欲しいんですが、人間どこで落ち目になるか判らないから、我慢我慢!。明日来ると店員のトムと握手をして店を出た。
 それから地下鉄に乗って、スイートベイジルに行こうと思ったのだけど、なんとなくまだあの地下鉄の階段を降りる気がしない。いろんな人に、それにガイドブックにまで恐い、恐い!と予備知識を入れられたもので、まだなんとなく恐い。そこで昨日、覚えたイエローキャブに乗った。7番街を南下して、7th Avenue Southへ、そこにスイートベイジルがある。店に入るとまだ中野さんの姿はない。でも昨日知り合いになった、オリーバさんが店のカウンターから笑顔をくれた。この人は、サモア人でファイアーダンスが出来るという特技を生かして、世界中を転々として、ニューヨークに落ちついているらしい。かなりの雰囲気がある。彼が中野さんに電話してくれて、ここで何を食べたらいいか、昼御飯の相談をした。ニューヨーク3大ジャズスポットのスイートベイジルは食べる物も強力においしいのです。そこで出てきた物は、まずトムヤンクー、僕の大好物の一つ、何せこの店のシェフには何人かタイの人がいて、本場の味を楽しませてくれた。次のメニューはタイ風カレー、これは少々塩辛かった、すこしだけ残してしまった、ごめん。

 そしてここからが悩みの始まり、中野さんが`そういえばここの先に楽器屋さんが有りますよ、ちょっと行ってみますか?`、そう言われるがまま、いって見たら、ここにも有りましたマーチンがドーンと!。なんと憧れの0シリーズが有るではありませんか!。1956年製。僕が生まれる前のギターが。僕が生まれる前からこのギターは僕を待っていたのかと勝手に思いこむひとときがありまして。ここでもあれやこれやと弾きまくる。
 でも結局その0シリーズのギターが一番良かった。3300ドル。どっちにしよう?。ここでも明日来ると言って店長のスコットと握手をして店を出た。ほんとにどっちにしよう。

*観光だ

 それはさておき、まずは観光。やっと地下鉄に乗りました、スイートベイジルの最寄りの駅のクリストファーから。やっと地下鉄の階段を降りたよ。そして降りたところにあるブースでトークンを1パック買う。地下鉄に乗り込みバッテリーパークへ。サークルラインに乗ろうかと思ったが、もう終わっていた、午後4時だよ。しかたなくその公園しばらくなごんで、また地下鉄に乗った。今度はアップタウンをめざして、が人が多い。タイムズスクエアーで降りて歩き回った、約、5キロは歩いたかな、ロックフェラーセンターや昨日のニューヨーク市立図書館、ラジオシティーホール、などなど、そして歩いているうちにここニューヨークで絶対買おうと思っていた、PGA TOUR(これはマック用のゲームソフトで日本で秋葉原や新宿でも探したけどこにもなかった)が、有りそうな、コンピューターソフト屋さんを見つけた。何軒か、ニューヨークでこの手の店に入ったのだけどなくて、あまり期待してはいなかったけど、有りました、しかも安い!日本の3分の1位の値段だ、やりました。
 そして今度はヘリコプターでマンハッタンを見てしまおうと、やって参りました、アイアランドヘリポート。陽が落ちそうな頃がいいよと、中野さんには言われていたのだけれど、ニューヨークは午後7時でも全然明るい、サマータイムのせいで感覚的にこの時間なら日没頃だと思ったのが間違いだった。でもビデオを回してみたが、良かった、暗いと良く映らないので、これくらいがちょうどいいと、無理に納得する。ヘリ乗ったのは初めてだったし、自由の女神は眼下に間近に見えるし、すごい良かった。
 着陸して、おみやげを2、3買い、またタクシーでホテルに帰る。それからゴルフゲームにふける。朝方、目が覚めて、どっちにしようというマーチンの悩みがまた頭をもたげてきた。まずはかみさんに電話でこうこう、こうゆうギターがあるんだけど、どうしようー?と相談すると、それは難しいねー、でもそれじゃー、両方買ったら?ってすごい人である。それからしばらくして、思いついた、そうだ京都で楽器屋のバイトしてたワタナベ楽器の渡辺さんに聞こう!。電話した、即座に0シリーズが買いだと教えられた。新品のマーチンは日本でも簡単に手にはいるけど、その0シリーズはなかなかないから、買いだそうだ。ぼくもそうしたい気持ちは有ったけど、なんせDー45の魅了には負けそうだったが、一気に問題は解決したように、見えた。ここでまたもう一つの問題が発覚した。
 ワシントン条約、その古いマーチンに使われている、ブラジリアンローズウッド、通称ハカランダは輸入禁止なのである。渡辺さんによると、その楽器屋でCITESという許可を取れればOKと言うことで、明日は、そこのところでニューヨークを攻めてみたい。

*ニューヨークの立ち食いそば

 今日はいよいよマーチンを買いに行く。地下鉄に乗ってスイートベイジルのあるクリストファーで降りた。今日はスイートベイジルを覗いたが、オリーバも中野さんもいない、代わりに女性スタッフが2人いて何やらぺちゃくちゃ話していた、言うまでもなくさっぱり何をいってるか判らない。バドワイザーを一本もらって飲んだ、オリーバはどうしたの?と聞くと彼は今日からニュージーランドへ家族と旅行にいったらしい。せっかく昨日のトムヤンクーをごちそうになろうと思ったが、当てが外れてしまった。とりあえず店を出て楽器屋さんへ行った。ショウーケースの中にあるある!。さっそくCITESの話をしたが、なんとなく大丈夫らしい、その代わり200ドルくらい税金を納めれば、持って帰れると言うことで、解決。クレジットカードで支払いした、3500ドル位。ギターと同じ古さのオリジナルハードケースが登場して、あっと言う間にその1956年製マーチン00028は僕の物になった、ワオー、ワンダフル。タクシーに乗ってホテルに帰り、さっそく弾いてみた、いい音!。しばらく弾いて、ソファーの上に飾って見てたら、お腹が減って来た、と言うわけで、ホテルのそばの立ち食いそばやに行くことにした。外人さんも`きつね`と言って注文していた。店員の豊原君と知り合いになった。彼は僕の顔は解らなかったが、夏の日の1993は知っていると言っていきなり歌いだした。そして僕の注文した肉うどんに、きつねは好きですかと言って油揚げを一枚のせてくれた、いい人だ、ついでにサインもした、茶色い紙袋にした。
 それからホテルに帰ってしばらくマーチン君を眺めていたが、お腹が落ちついたのと、疲れから、眠ってしまった。この日はそのまま終わってしまった、もったいない。

*ブロードウェイ

`94、6月5日

 ニューヨークも4日目ともなると割と慣れてきた。今日はまずブロードウェイをアップタウン方向へ北上した。キャッツを上演しているウインターガーデンシアターを過ぎて右手にハードロックカフェの旗を見ながら59丁目にセントラルパークの入り口、コロンブスサークルに来た。いよいよセントラルパークに足を踏み入れる。
 今日は日曜日でしかも、とても良い天気。ゆるやかに公園をカーブする舗装された道路を沢山の人がジョギング姿で走る人、ローラースケートする人、サイクリングする人、これまたゆるやかな、その群の流れが心地いい。72丁目あたりに来たときに有りました、ストロベリーフィールド。なんてことはない、セントラルパークの一角って感じ、とりあえずその看板と、イマジンという文字のモザイクなどをスナップして、セントラルパークウエスト通りに出るとここに、今もオノ・ヨーコやショーン・レノンの住むダコタハウスがあった、とりあえず、スナップ。そしてそこから西に歩きアムステルダム通りの、ニューヨークで一番CDの安い店とされるHMVに入る。ほんとに安かった、一枚12ドルくらい、abc順に並んでるわけだが、AからFまでですでに20枚くらい手にしていた。このままではまずいので後は適当に見てたけ回ったけど最終的に30枚くらいになってレジにいったらレジのお姉さんに”よくもこんなに積み上げたわね”みたいなことを言われ、それからまた”さあ始めるはよ!”みたいなことを言って、どんなにこれが大仕事かみたいなことを僕にアピールしてうれしかった。重い荷物をかかえ今度はセントラルパークの南の通り伝いに5番街へ向かう。この通りには、観光用の馬車がもういっぱいとまってる。止まってるだけならいいけど、馬でしょ、馬、ウンコするわけですよ、そこいらじゅうがウンコだらけ。くさいのなんのって、死にそうだったのは僕ぐらいで、歩いてる人は、全然平気みたいだった。
 それからセントラルパークが切れるあたり、5番街に面して、例のプラザホテルがでかい顔をしてありました。とりあえずスナップ。それから今度はティファニーへ行った訳ですが、日曜日は休み。しかたなくホテルへ向かう、途中で日曜市など見まして、部屋に帰る。

 部屋に帰ってミュージカルの案内を見ているとキャッツは午後3時から日曜日はやってるそうな、ふつうは午後8時からと思っていたんだけど、それじゃあ、今日見ようと思っていたブルーマンはの前にみれるなあと見に行ったんだけど、そのブルーマン、後で判ったことなんだけど、実はこれも日曜日時間で午後5時からの上演で、結局ブルーマンは見れずにニューヨークを後にするわけです。まあそんなわけで、キャッツを見にいった。あんまり期待していなかったんだけど、さすがにブロードウエイで一番長く上演してるだけのことはあった、セリフはほとんど判らなかったけど、メモリーを聞いた時は思わずグッときて涙が出た。そして幕ごとのテンポの良さ、終演に向かう練られた演出には思わずうなってしまった。面白かったのは途中の休憩時間に客がどんどんステージにあがって行くのにはびっくりした、みんなであがってセットに触ったり、写真とったり、しかもそのあいだに一番偉い猫がずっとすわったままの姿でステージ中央奥にいる、最初は人形と入れ替えたのかと思ったけど、休憩が終わると、また動き出したものね、びっくりした、それからシンプルで特別なシステムではないのに、電飾を織りまぜた照明もとても効果的に使っててすばらしかった。
 感動もやまないまま、ホテルに帰って、例のブルーマンの広告を見ていると、今日は午後5時スタートと言うことが、発覚、ショック、あきらめるしかなさそう。
 そこでホテルのレストランでディナーでも食べてと軽い気持ちで行ったら、`dinner? oh,great!と言われた、それもそのはず、客は僕一人、窓からは、ブロードウェイの素晴らしい眺めなのに、ここのレストランはまずいらしい。でもウェイターが何か気を使ってくれて親切だった、おまけにグラスワインをいっぱいおごってくれた、そのワインが効いて部屋に帰ってすぐに眠ってしまった。そして夜中に目を覚ましてテレビのリモコンを色々いじってら、有料のビデオのリストの中に僕が見たい、まだ日本ではビデオレンタルやさんに出てなさそうなのがいっぱいあって、おもわずうれしくなって、見てしまった。先ずはピアノレッスン。なかなか良かった、言葉はほとんど判らなかったが、明日は、天使にラブソングを2か、フィラデルフィアを見ようと思いながらまた寝た。

*走る男

`94、6月6日

 今日は朝一番から、ジェトツアーの村上さんに電話してもう一日、滞在を延ばせないか調整してもらうことにした。あと見残している、ブルーマンを見たいためだ。だけど航空券がフィックスされてる確率が高いので希望は少ない、まあとりあえずお願いした。
 お腹が空いたのと、あのトムヤンクーが食べたくて中野さんに電話する、これから店に出ると言うことでさっそく僕も店に地下鉄に乗って向かう。地下鉄を乗り間違えた、快速に乗ってしまって、行きすぎてしまった、また快速で引き返して、各駅停車にのってやっとクリストファーについた。店にはすでに中野さんがいた、さっそくトムヤンク?をたのむ。うまい!。タイ人のポールの作るこのスープは絶品だ。あと白身の魚のタイ風の料理も出てきた、うまい!、調子に乗ってトムヤンク?をお代わりした、もうちょと辛くしてもらった。これが強烈だった、もうどろどろの真っ赤っか、でもうまい!。お腹いっぱいに唐辛子スープを詰め込んだ感じ、これが後で大変だった。しばらくして今日、日本から着いたばかりという、中野さんが店に現れた、今回、ニューヨークの恒例のジャズフェスのスタッフとしてやってきた、軽く挨拶して、今日夜、3人で晩御飯でも食べようということになった。
 さてということで、今日の観光は、ソーホー。スイートベイジルからも歩いていける場所。店をでててくてくと歩いた。ブレッカーストリートを10分位歩くと、天井の高い、倉庫を改造したおしゃれなギャラリーやブティックが並んでいる。いろいろと見て歩いて、結局Tシャツを数枚買った。
 ところがこのあたりで、急にお腹がSOS!、さっきの強烈なトムヤンク?が僕の下腹部をじわじわと責めてくる。まあ、スイートベイジルにはすぐ戻れるからと思い、もうしばらく見て回っていたんだけれど、けっこうやばそう!。急いで歩き始めたけど、だんだんと水戸黄門さんが危なってきた。結局、顔色の悪い、額に汗をかいた、くいしんぼうの日本人は息を切らし、下腹部に全神経を集中させながらブレッカーストリートを走ることになった、ニューヨークまでいってパンツにウンコしては一生の恥だという想いと戦いながら、それこそ一生懸命こらえながら走った。やっとの思いで店にたどり着きトイレに駆け込みセーフ、ちょっとひりひりしたけど、助かったって感じ。水をもらってひと休み、ひと休み。
 さて落ちついたところで、またクリストファーから地下鉄に乗ってタイムズスクエアーでEFラインに乗り換えて5番街へ、バーニーズへ行った。比較的新しいデパートらしい。いかにも金持ちらしい人達がショッピングを楽しんでいる。僕も白いシンプルなシャツを一枚買った。そうこうするうちにまた下腹部がSOS!またかと思いつつバーニーズでトイレを探したけど見あたらず、5時に村上さんに電話することもあるし、急いでホテルに帰った。なんとか着いた。それから村上さんに電話して、残念ながら延泊は無理だった。まあ早く日本には帰りたくはあるし、ブルーマンは見たいしだったけど、何となくほっとしている自分がおかしい。

*ZZ TOP

 さて晩御飯の約束をしたのでまたタクシーでスイートベイジルへ。川島専務のお気に入りの韓国料理屋さんへ行った、あれだけお腹を痛めたのに、また辛い物を食べに行くとはまったくあきれた親父だと自分で思った。たらふく食べた。そう今日は朝から初めて雨が降っている。なんかニューヨークに雨は似合わない感じがする。ロンドンやパリならわかるけど、なんかニューヨークは渇いた街のイメージがある。雨のニューヨークはあんまりいかさない。
 みんなでタクシーに乗って途中のマジソンスクエアーガーデンで僕だけ降ろしてもらった。そうマジソンスクエアーガーデンである、村上さんにとってもらったZZ Topのチケットがポケットの中にある。客席に入り口で聞こえてきた歓声はまさにアメリカなのである。前座のバンドなのにこれって言うことはZZ が出てきたらどうなるのかなあとわくわくしながらいた。まさに騒然としている、日本ではまず聴くことのないテンションの歓声が聞こえてきた、もうこれだけでも感激してしまった。中にはいるとまるで人間動物園、白いの黒いの男、女、もう騒ぎまくっている、ZZが出てきた。トリオだった。もっといたような気がしてたけど。あと6人のダンサーが超スゴイ、スタイル抜群でみんな2メートル位に見えた、そっちばっかり見てた気がする。そのうちみんなぶっとんで来る、何やらあぶない物をあちこちで吸ってる。
 とにかくみんな思いっきり楽しんでいる、見に来ていると言うより、パーティーだなこれは!、終わってマジソンを出るまで騒がしい人の流れにドキドキしながらタクシーに乗ってホテルに帰った。風呂に入ってビールを飲んで、昨日決めていた、天使にラブソング2をを見て、寝た。さあ明日は最終日だ、早起きしよう。

*最終日

`94、6月7日

 さあいよいよ最終日がやってきた、今日はいつもより少しだけ早起きした。先ずは、地下鉄に乗って、セントラルパークの西にある、アメリカ自然博物館に向かう、この博物館は地球創世期から始まって、現代に至るまでの総ての自然界の進化を人類とその回りの動物たちを中心に大スペクタルで展示してある。とても広い敷地の中の4階建ての大博物館である。先ずは1階から、化石の中の貝から始まる、とてつもない大きさの隕石、類人猿、何億年前の出来事を実物と模型やイラストそしてコンピューターグラフックスなどで語りかけて来る。鉱石や宝石、そして月の石など、月の石は1970年、大阪の万国博覧会で見逃していたので嬉しかった、なんとなくSFっぽい輝きに宇宙への不思議な憧れをかきたてる。
 そして2階へ、階段を上がって角を曲がるといきなり発掘された、どでかい一体の恐竜の骨が組み合わされている、ビルの4階分位の高さはある、ほんとにこんな大きな生物がこの地球上にかつて生息していたのだろうか?ただただ驚くべき大きさだった。
 とにかくこの博物館は大きい、大きすぎて歩き疲れてしまった、3、4階はあんまり興味がなかったのと、全部見て回っていると、一日終わりそうなので、やめて外に出た。
 さてまた地下鉄に乗り、今度は一気にマンハッタンの南に下り、日本人のミノル・ヤマサキさんの設計した、世界貿易センターへいった、これまたとても大きい、このあたりのビル群を見ると新宿の副都心のビル群はおもちゃみたいなものだなあと思う。チケットを買ってエレベーターで展望台へ確か105階、地上200メーター位だと思う、とりあえずスナップ、北にエンパイアーステイトビルが見える南には自由の女神、望遠鏡で覗くとスイートベイジルも見えた。さっさと降りてまた地下鉄に乗って、今度はさっき見ていたエンパイアーステートビルに登る。当たりまえだけど、今度は南に世界貿易センターを中心とするビル群が見える。先日ジェットツアーの村上さんから聞いた話、ここのビルで日本人観光客のショルダーバックがナイフで切られてとられたという話を聞いていたのでちょっとだけびくびくしながら、見て回る。おみやげ物売場でこのビルをバックにした雑誌の表紙風の写真を作ってくれる、サンプルのど真ん中に、桂きん枝さんのがあった。なんかおかしくてとりあえずスナップした。またこのビルもさっさと降りて、五番街を北に歩き出した、しばらくして歩いている人の一人が何やら興奮して、振り返り指さしている、このリアクションは日本でも思い当たる例のもの、誰か芸能人が(芸能人とアメリカでも言うのか解らないが、とりあえずスターと呼ばれる人が)歩いているなと思いきょろきょろしてみると、いたいたムービースターが映画アウトサイダーなどにでていた、マットディロンがサングラスをかけて、あの肩をいからせて大股で歩いている、けっこう映画ミーハーの僕は、気がついたらカメラを手にしてその後ろ姿だけをスナップした、けっこう悲しい行動だと思いつつも何となく得した気分、何となくドキドキした。そして後は、日本の人達におみやげをと、色々買った、Tシャツ、あぶなそうなお菓子、キーホルダー、ペン、等々。
 時計を見るともうすぐ午後6時、スイートベイジルのトムヤンクーも今日が最後なので、挨拶もかねて、店に向かう。中野さんはいなかったがウェイトレスに頼んで、ポールのスープを食べたいといってトムヤンク?をいただいた、いつもより大きな器に入ってきたので驚いた、分かってらっしゃる。食べているうちに中野さんが現れる、最後に記念写真を撮って、握手をしてスイートベイジルを後にした。

*美女と野獣

 さていよいよ最後のプログラム、パレスシアターで美女と野獣を見る。客はこのあいだのキャッツの時と違って、いかにも金持ちーって感じの客ばかりだった。始まると、映画で見たのをほとんど再現する内容だった、だけどステージのセットの転換の度に大がかりな大道具には感心した、でも何やら物足りなさを感じた。そして休憩。
 15分位してまた始まったが2分もしないうちに会場の明かりがつき、何やらアナウンス、トラブルのようだ、ここからまた20分位待たされた、後で分かったけど、休憩後始まった時、ベルが狼に襲われるシーンで主人公のベルが居ないままに劇が始まっていたのです。ただ狼と野獣がうろうろしていたので変だなあとは思ったけど、こんな事がブロードウェイのミュージカルではあるのだろうか、結構あるらしい、おおざっぱなんだそうです、アメリカは。野獣がプリンスの元の姿に戻るシーンでは、客の歓声が大喜びですごかった、みんなストーリーは知ってるだろうに、なんでそんなに喜ぶの?って感じ、最後は皆スタンディングオベイションだもんね、なんか物足りないミュージカルだった、やっぱり映画の方がいい、そうしてみるとやっぱ、キャッツはよかったなあ。
 すべての予定を終えてホテルに帰りまだ居たいなあと思いながらシャワーをあびて横になったら眠っていた、朝目が覚めて、朝食のルームサービスを頼んで、パワーブックに向かい、旅行記を書きながら、食べた。ジェットツアーのピックアップでニューアーク空港へ向かう。飛行機の中では豊田さんというファンキーなビジネスマンと知り合いになった、相当二人で飲んで騒いでいたらいい、というのはうちに帰ってみたビデオにその辺が映っていて恥ずかしかったが、帰国後、豊田さんから電話がかかってきて、これからも頑張って下さいととの励ましの言葉、とてもいい人だった。

 さてニューヨーク一人旅を終えて、やはり一人旅とはいえ、全くの一人ではなくてちょうど良かった、これがある程度用意されたツアーでもつまらなかったと思うけど、スイートベイジルの中野さん、ジェットツアーの村上さんにはほんとに楽しい旅をプレゼントしていただいた、また彼らに会いにもう一度ニューヨークに行きたい。僕の中でニューヨークはもう遠い街ではなくなった気がした。
 初めて岩盤だらけのアメリカ大陸を見たときに、僕は一瞬にして理解していたんじゃないか?あとで気がついた、人間はこの地球上に生かされていると…..。地球上の永遠の時間の流れの中の一瞬の出来事に人類の文明がある。そして知らず知らずのうちに人は人を愛し、助け合い、憎み、傷つけ、殺し合う、すべてが自然なのである、だから僕は一生懸命これからも自分に正直に、せいいっぱい生きることを楽しんでいきたいと思う。
 ニューヨークは生きている!文明最高の街という幻想を僕の胸に深く刻んだ、少なくともニューヨークは僕の中で息をして生きている…..。

         1994. 6 .8  Takanori “TAKA” Hiura

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