がりがり:その2「ヲヤジのメロン」
(日浦孝則2012アルバム「コーヒーがりがり」セルフライナーノーツ その2)
M2:ヲヤジのメロン 作詞、作曲:日浦孝則 編曲:篠崎央彡
メロンと一口に言っても 色々あるんです
夕張、アンデス、マスクメロン
クインシー、ハネデュー、マクワウリ
だけど僕が小さな頃から メロンと教えられて来たのは
プリンスメロンっていうやつ 網目はいらない
ヲヤジのメロンメロン・・・
メロンメロンメロン・・
メロンメロンメロン・・メロン
・・・
2009年の年末、弟からの電話で母親の危篤を知った。
急性腸炎という病気。
なんでも、お腹が痛いとか言ってたらしいけど、ちょっとした食当たりだろう本人も軽く考えて痛みが退くのを待ってたらしいのだけれど、痛みが退くどころか、どんどん悪化して自分では立ち上がれないほどになって居た。
実家は広島県の小さな島で、10年前に農道という名目で橋が架かった。だから、非常時には本土から救急車も来れるようになってるが、田舎ものの母親には島に救急車を呼ぶなんて事は、とても気の重いことだったらしい。そうこうしてるうち3日目の夜、意識も遠のき、瞳孔が開いているのを弟が発見し、いよいよ救急車で病院に運ばれた。
非常に危険な状態だった。
大腸が溶け始め、周りの内臓との癒着も始まっていたらしい。
「兄ちゃん、今回は覚悟した方がええかもしれんわ・・・」
僕は、急いで新幹線に乗って東広島の病院に駆けつけた。
集中治療室には、おびただしい数の医療機器に囲まれて微動だにしない母親の心臓の動きを伝える音と人工透析の機械が動く音が響いてた。
その姿を暫く見ていたが、心の中にどこからともわき上がってきた気持ちは謝罪の気持ち。
随分と夢という曖昧な奴のせいにして好き勝手なことをやってきたよなあ、俺は。
でも、それはしょうがないと今は思う。
あの時は悪いことしたなあって思ったが。
それから、おふくろは約半年後に奇跡的に退院した。
足の悪い父親が、大芝島の家から軽トラックに乗って東広島まで、約40分の道のりを毎日通ったそうである。
しかも、その病院に行ったことあるから解るが、駐車場から、おふくろの病室までは、長い長い廊下を何度も曲がり、エレベータに乗って、更に、長い廊下を進んだ先にあるのだから、良い運動と言えば良い運動だが、身障者認定されている親父の足では辛いだろう。
おふくろは偶にパニックになったらしい。
その度に、親父は呼び出されて、その度に、長い長い廊下を歩いてやってくる。
おふくろが元気な頃、家では、いつも親父は怒ってて、「馬鹿たれが!馬鹿たれが!」とおふくろをなじる。
なじる相手こそが実はかけがえのない相方なんだって事に気がついたのか、毎日通ったそうである。
その甲斐あってか、おふくろは無事退院したのである。
その年、2010年のアルバム「俺達がいたあの夏」に、年末の病院のICUで感じたことが切っ掛けで「おふくろの玉葱」という歌を収録することになる。
そのアルバムは予め実家の方へ送っていたんだが、本人よりも近所のおばちゃんが喜んで聞いて毎晩涙していたそうだ。
そんな頃、夏のツアーの途中で見舞いがてら実家に寄ったときのこと。
がらがら~っと玄関を開けて「ただいま~」。
最初に、家の奥の方で横になって居た親父と目があったが、何処か機嫌が悪そう・・・、わしの歌はないんか~?って聞こえたような~、なんか、そんな事思ってたりしないかなあ~って。
居間に入ると、近所に住んでる末の弟の嫁さん、ちよちゃんが家事の手伝いをしてくれていた。
雑談してると、「お母さんが畑に行けんもんじゃけん、お父さんねえ、野菜作りデビューしちゃったんよ~!」って。
暫くすると、家の裏から、のそのそと親父がやってきて、「孝則~食べや~!」と持ってきたのは、メロン!といっても、網模様の高価なメロンではなくて、昭和30年代に大ヒットして未だにロングセラー?の品種、プリンスメロンが出てきた。
(写真:親父が作ったプリンスメロン)
「はは~ん、次は、オヤジのメロンか~?!」って。
九州へ移動するツアー車の中、ギターも弾ける運転手、ミッシェルこと岡澤敏夫の隣で「オヤジのメロン」という歌を作り始めた。
サビが難なく出てきた!知ってる人も多いかと思うけど、例の奇跡的に簡単で一度聞いたら忘れられないあのメロディーだ。
でも他の部分がなかなか出てこない。
まず、オヤジのメロンに至るまで、おふくろの病気のことに触れたが良いか、そうじゃないかって事から始まった。
やっぱ、おふくろのことに触れると、わしが主人公なんじゃけん!とオヤジが文句言いそうだから、その部分は無くしてオヤジの半生を茶化しながら瀬戸内海の海のこと、釣りのこと、造船のことなどを盛り込もうって決めた。
そのうち、ミッシェルがぽろっと「網目はいらない~」っての良いんじゃないって言うもんだから、俺もいいじゃ~ん!それ~!って調子に乗って、この歌には無くてはならないセンテンスと成った、後でこのことがひとつの障害になるなんて事は思いもしなかった。
「ヲヤジのメロン」は年末頃になってやっと形になってきた。
決定的に完成したのはVSRの年越しライブでの事だ。
楽屋で雑談していたベースのスティングさんとドラムの奥さんに思い付きで、「ね~、この曲セッションしてくれな~い!?」って頼んでみたら、二人ともノリノリでやってくれた。
面白かったのは、楽屋でのリハーサル、アンプと無いエレキ・ベースとスティックだけを握りしめたドラマーがペシペシ、タンタンやる中で「おやじの~メロンメロンメロン~」ってやった!スティングさんが、直ぐにバッチグーなコーラスをつけてきた~。実はその場にいて一部始終見ていた弦楽の二人組が居たのである、
央彡くんと渚ちゃんだ。
俺も今書きながら想い出した!
そうだ、渚カルテットの関わりはこの夜からだったなあ~と、可笑しいなあ!
なあんだっけかな~、この時、央彡くんには「ヲヤジのメロン」には聞こえてなくて、オヤジのメローメローメローだっけか?別のものに聞こえてたらしい。
更に、渚ちゃんが後で語るには、歌詞のひとつに「お日様の味がする~」ってのが、
「叔父様の味がする~」に聞こえてたって!
それは恐ろしいようなばっちいような、笑えるような笑えないような・・・。
まあ、そんなことがあり、2011年のアルバムにはスティングさんのベースでバンドバージョンの「ヲヤジのメロン」が収録されることとなったわけです。
そして、今作では、傑作な弦楽バージョンが収録されることになったわけである。
長~!
使ったギターは、同じく今は無き、Gibson J-45。そして、コーラスには、アレンジャーの青山政憲と渚カルテットの全員が参加している。
追伸:この「ヲヤジのメロン」・・・メロンといえば夕張じゃないか~ってことで、夕張のために使ってもらえらた嬉しいです~、と東京都から出向した?のだっけかな?若い鈴木夕張市長にメール出したのだけれど、やっぱりあの「網目はいらない~」ってのはいらないです~と却下されてしまいました。ざんね=ん。