広島

 母ちゃんの危篤の知らせを受けたのは先月の中旬だった。すぐに広島に向かうと緊急手術が始まっていた。急性重度膵炎とかいう病気で膵臓が炎症を起こし、毒素が体中に回って、腎臓、肝臓、肺などが機能しなくなって、腸の一部が既に腐ってしまっているという事だった。一刻を争って開腹し壊死している部分の摘出と臓器全体の洗浄を行ったと医師の説明を聞いた。集中治療室では血液の透析器や人工呼吸器、いくつもの点滴、血圧や心拍雛を監視する計器などに囲まれて眠る母ちゃんにやっと会う事が出来た。
痛いのをガマンし過ぎたそうだ。田舎の小さな島に救急車を呼ぶ事も抵抗があったらしい。
結果的には救急車で東広島の病院に搬送されたが、後数時間で手遅れになるところだったらしい。
痛々しいその姿を見守りながら言葉を失うようだった。
これまで自分のやりたい事を実現するため、どれだけ、この母親と、そしてその側でただただ祈るような父親、この二人に寂しい思いや口惜しい思いをさせて来たのだろうか俺は・・・。
ただ、それだけをぼーっと考えていた。

翌日、二人の弟を手伝うようにみかん山に行き、収穫期に入っている母ちゃんたちの育てたみかんを摘んだ。何年振りだろうか?、でも、2~3個を専用のハサミで摘む内に、どうやれば良いか完璧に思い出していた。同時に、あの頃は、この作業が嫌で嫌でしょうがなく、どうやって手伝いをサボるかばかり考えていた事も思い出した。
一時間もやっていると不思議なもので、なんとなく充実感というか、ランナーズハイのような気分になってくるのが可笑しい。ここのミカンは非常に甘くて酸っぱい、かなり美味しいので、かつては、宮内庁御用達だったとか、なかったとか。
ミカンの樹を移りながら作業していると、野鳥につつかれて腐ったミカンが目立つ樹を見つけた。
不思議に思いながら、その樹のみかんを食べてみると、あまりの美味しさにビックリ、鳥はよく知ってるんだなあって感心した後で、その樹のミカンは俺のものだー!とばかりに収穫し、とっとと東京の自宅へ送ってしまった。
みかん山-01

みかん山-02

 


あれから、約3週間、また広島にやって来ることが出来た。
12/13日、大竹にて、チャリティークリスマスコンサートに太田美知彦が出演するので、また、そのゲストということで歌わせてもらった。最近、不思議なことに、ライブでの話しが面白がって貰えているようだ。元々俺は、MCが超苦手なので、今も毎回、ライブの前に紙に書いて内容を組み立てて吟味するけど、いざステージに上がったら、全然違う話に展開していくことが多い。大竹のライブでも最初は、”同じ広島県の島の出身で、瀬戸内の駅って良いですよね~”って話しをしていたら、いつの間にか、広島弁の話しになっていった。その一連の話しを繋げていったら、ステージからでも、喜んでいるお客さんの顔が沢山見えた。
「は~、おらんで~、いんだで~」、これが、つかみ。広島県人以外の方、意味分りますか~?
実は、このコンサートの流れで、来年の8/6には、「ひろしま祭り」というイベントにも、太田と一緒に出させていただくことになった。広島厚生年金会館で2000人の前で歌う。
岩国駅

さて、今回の大竹のコンサートに呼んで頂いたお陰で、ありがたいことにコンサートの前日と翌日、お袋を病院に見舞うことが出来た。
お袋の意識は戻り、ICUから一般病棟に移ったと弟から聞いていたので、大体は想像できたが、それでも、お袋の具合はどうだろうと多少緊張しながら病室を覗いた。
すると、先月のような、たくさんの計器類や点滴はなく、呼吸を補助する人工呼吸器と心拍、血圧の計器だけになっていた。
喉に、呼吸器からの管を付けているので声が出せない。唇の動きをじっと見て何を言っているのか読唇する。あれだけお喋りだった人が思うように気持ちを伝えられないので、それは相当なストレスになっているようだった。
おやじが、お袋の言おうとしていることを分ってくれないと、お袋は腹を立てて「ばか~」って言うらしいが、それは声がなくても良く解るらしい。
俺にも色々話しかけてきた・・《みかん・・・》、「みかんがどしたん・・・」、《みかん持って帰れ~》、「今からみかん山まで行く時間はないな~」、《みかん取りに行きんさい・・・》、「ええよ、ええよ、明日父ちゃんが送ってくれるって。」、《みかん持って帰えりんさい、しんかんせんで食べんさい~》、「わかった、わかった、持って帰るけん、心配せんでええよ~」、痛々しくて、終いには軽いウソをついてやる。
自分が大変な状態って分ってるのだろうか?俺のみかんより、自分の身体のことを心配した方がいい。
母親とはこんなにも、胸が痛いほど母親なんだな。

おやじとお袋は、ほとんど家では話しをしないって、お袋からの電話で聞いていた。だから、お喋り好きなお袋は電話が大好きで、遠方にいる姉妹や俺なんかに頻繁に電話してきて、話せないストレスを発散させていたようだ。
そのほとんど話さない、いつも知らん顔のおやじが急変していた。毎日お袋のところにやってきて面倒を見てる。足をマッサージしてやったり、手をもんでやったり、たまに、「バカ~」って、お袋に言われようとも、せっせと献身的な介抱をしている。
おやじは、幼少期に骨髄に結核菌が入り、片足が不自由で身障者手帳を持っている。近年も人工関節の手術をしたりして、やっとの事で歩くくらいの体なのに、
車を4,50分運転して、そして、長い長い廊下をゆっくりと歩いてきて、毎日、お袋の面倒を見ている。
お袋が精神的なパニックに陥って急に呼び出されても、長い長い廊下をやってくる。

もう12月にもなると、例え広島でも、冷える・・。
黄昏間近の東広島駅2番ホーム東京方面行き。
お袋は一昨日よりも元気に、指や足を動かして見せてくれた。
俺が帰る時間になったと告げると見る見るうちに顔の表情が悲しげになっていった。感情はすぐに表情に現れる。
正月には外泊で、一時帰宅出来るように頑張ろう思うんよ、と一番下の弟の嫁さんのチヨちゃんが明るく言う。チヨちゃんは、看護士さんなので今回の事ではとても頼もしい、おふくろの声にならない呟きも1番よく分かって通訳してくれた。
先日も、親父と一緒にみかん摘みに行くのを嫌がる弟に、無理矢理みかん山に連れて行かれたらしい。だけど、チヨちゃんの実家も、実はミカン農家だったらしく、ミカン山でも頼りになったらしい。
チヨちゃんに東広島の駅まで車で送って貰いながら、そんな話しや弟の話しをして笑った。別れ際に、夏のツアーのDVDをサインして渡した。そこに行くと、いっつも俺のアルバム「心のベル」が流れているという、同級生でお茶やお琴の先生へあげてねって、そして、よろしくお願いしますって。

”こだま”号は”のぞみ”よりも席が広くてゆったり、これで速ければ云うこと無いのだけれどね。
お袋の病気も、良い方向へ向いてるようで、安心した俺は、こだまの発車のベルに合わせてキリンクラシックラガーのフタをプシュっと開けた。

俺の追いかけてきた夢は、とてつもない犠牲があってのことなのだと初めて分ったような気がする。
何があっても歌を止めることは出来ない。
辛い想いを押し殺しながら、ずっと応援して来てくれた人がいるのだから。
でも、これもきっと、俺のとっても都合の良い感性なのだろうな・・。
元気になったお袋と親父に、来年の広島のイベントを是非見て貰いたい。

乾杯。

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12 Comments on “広島”

  1. NOTHとくなが さん>ありがとうございます。人生色々なことが起きますね。健康であることは本当に幸せなことです。
    明日も元気で唄えるように日々精進していきたいと思います。
    みなさんも、どうか元気でありますように!
    そして、2010年がみなさんにとって良い年でありますように!

  2. 早く回復されることを祈っております。

    今年は、私も、生まれて初めて頭蓋骨に穴をあける手術を経験して、
    健康のありがたさがよくわかりました。

    皆様のご健康を祈念しております!

  3. yu-ko さんへ>メッセージありがとうございます。お母様はいかがでしょうか?人生は色んな事が起こりますが、すべてに理由があるんだと、誰かが言ってたかなあ。そう思うことで物事を肯定的にとらえて前に進んでいくことが出来るような気がするんですね。
    人生には無駄などいっこもないですねえ、ちょっと生きてみると、そう思うことがこれまでに何度もありましたねえ。これからも、色んな事、かみしめて行きたいと思います。頑張ろう!

  4. みのさんへ>夏はありがとうね。みんな元気でしょうか?あの、同級生で、琴やお茶の先生してて、俺のCD、いつもそこで聞いてくれてる人って誰だろうか?わかる?分ったらお礼を言っておいて欲しい。これからも、よろしゅうね!そうそう、来年の8/6は、広島厚生年金会館の”ヒロシマ祭り”で歌うから、みんなに宣伝しといてね!

  5. もち吉さん>お父様のご冥福をお祈りいたします。悲しい出来事はしんどいし、もし、その体力が無くても、乗り越えていくしかないんよね。そして、乗り越えたときに、それはその人の力になって行くのでしょう。
    少し早いんだけど、でも、来年の成人オメデトウ!

  6. 日浦君また広島帰ってたんですね。同窓会があってからたまにこのブログ見させてもらっています。この間順ちゃんと富久美ちゃんと会ったので富久美ちゃんにCD渡してお金もらいました。CDの歌いいですね。学生の頃を思い出しました。好きなことが続けられるのって素敵ですよね。私も広島から応援してまーす。頑張って~^^

  7. すみません、追記です(汗)
    私も、日浦さんの気持ちはすごく分かります。
    ご両親に日浦さんの歌われる姿を見てくださる事を祈っています。
    歌い続けられることが皆さんの為です!
    急に寒くなりましたが、日浦さんご自身も体調を崩されないよう気をつけてください。

    拙い文章ですみません。

  8. お母様が順調でよかったですね!
    自分の事を心配してほしいと思うんですけど、母親というのはやはりどのご家庭も同じで(私も人のことは言えませんが)、私の母親もやはり入院していて見舞いに行くと家の心配や家族の事の心配ばかり。
    自分のことはそっちのけなんですよね・・・。
    お父様も今回お母様がこのような状況になって、ご自分でも何か思い当るところがあったんだと思います。
    本当に、お母様の事を愛していて、大切にしていらっしゃるんですよね。

    自分の目標や夢を叶えるには、犠牲は必ず付いて回りますよね。
    それでも、その犠牲を伴ってでも達成したいと思えるか思えないかが大切だと思います。
    きっと日浦さんの気持ちを知っていたからこそ、今までずっと見守ってくださったんだと思います。

    長くなって、偉そうなコメントになってしまってすみません。
    私も形は違えど心当たりがあったので、ブログを読んで目頭が熱くなりました。
    ご両親に来年、イベントで歌う日浦さんを見ていただけるといいですよね!
    頑張ってください!!

  9. そうだったんですか・・・
    お母様が1日でも早く回復されるといいですね!
    先月に私は父親を亡くしました。
    来年の1月は成人式だっていうのに…
    やっぱり色んな事をぼーッと考えていましたね…
    親不孝な娘だったな~とか…

    私事ばっかりですみません(^^;)

  10. >ナオちゃんへ
    新幹線の中で書いていて、記事が途中になってしまいました。基本的に肯定的な内容にしたかったんだけど、間に合わずに一時放置してました。お袋は、前回よりも、かなり良くなっていました。記事中に書いたように、正月は家で過ごせるようにみんなで頑張って貰っているようです。俺は遠くにいて申し訳ないばかりです。せいぜい電話して労をねぎらいたいと思います。
    心配して貰ってありがとうね。
    今日、12/19のリハをしました。前回よりもバンドっぽくなっていたし、謙さんのベースも非常に良くて、やるぞ~!って感じです。
    では、お楽しみに~!

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