8.6 ヒロシマ祭り
8月6日 原爆の日。この日に平和公園にいるのは生まれて初めてだ。子供の頃から、遠いあの日の出来事は重い記憶として心に刻まれていると思っていたけど、初めて元安川に花びらを供えたり、慰霊祭の朝の空気に触れたりすると、そんな記憶とは違う何かが心にぐっと迫って来るようだった。
今も決して平和とは言えない世の中だけど、この場所で、あの日の広島のことを想像してみると、平和を願う気持ちが改めて強くなったような気がした。
原爆資料館に掲げられた式典の表示。
朝の7:30 ”ヒロシマ祭り実行委員会”が原爆ドームの袂、元安川で行う献花式に向かう。
テレビの生放送だろうか?こうせつさんが、カメラの前にいた。(一番右)
写真右に見える、ボートのクルーによって、8:15に献花される。
献花式が無事終了、続いて平和公園内の「原爆の子の像」に折り鶴を奉納する。
原爆の子の像。写真右下、白い杖を持った女性が、像に抱きつくような格好で、ずっと涙を流して泣いていた。彼女が何を感じ、何を思っていたのかは解らないけど、ヒロシマの受けた傷跡は今も尚痛みを伴い消えることはないだろう。
広島市文化交流会館のステージ。
僕は、”夏の日の1993”、”おふくろの玉葱”、”One Hope,One World”の3曲を歌わせてもらった。
”夏の日の1993”では、会場のお客さんとアカペラで一緒に歌うことが出来たのは感激だった。
地元で歌うというのは、とても緊張するのだけど、やはり、地元は温かい。
そんな地元広島の皆さんに、少しでも喜んで頂けたのなら、それ以上嬉しいことはない。
半年前に決まっていたコンサートだったし、ボランティアの方々の熱い気持ちも伝わってきていたので、この”ヒロシマ祭り”は非常に楽しみだったけど、非常にプレッシャーもあった。
でも、無事に終ることが出来て、ほんとに良かった、ボランティアの皆さん、実行委員会の皆さん、お疲れ様でした!そして、ありがとうございました。
この”ヒロシマ祭り”がずっと続いて、原爆の日が風化しないことを願っています。
盛り上がった祭りほど、その後は寂しいなあ。
ヒロシマ祭りお疲れ様でした。
昨日東京に戻ってきました。
ライブ、行けなくて残念です。
そのかわり・・・・・と言うのではありませんが、
ヒロシマ祭りの写真を一点送らせていただきます。
よろしければブログにどうぞ、お使いください。
かわいさとし
多くの方が集まった、この「ヒロシマまつり」
それぞれに違う思い入れがあったのでしょうね…
でも、この世の中から原爆そして戦争をなくそうと言う思いはみんなひとつですよね
私は、義祖母が長崎で被爆
私は大学時代、祖父母の所から通学していたのですが
祖母は定期的に、被爆者指定の病院に通院しなければいけませんでした
そして、今でも覚えていますが
打ち上げ花火が、ニガテでした
「あの音が、爆弾投下を思い出させるのよね…」と言ってました
「原爆の子の像」のところで涙を流されていた女性の姿に、もらい泣きをしてしまいました
何か特別な、思いがあるのでしょうか…
でも、アーティストの方々は、歌でみんなの心を癒すことができるんですよね
日浦さん、太田さん、みーこねーね、そのほかのアーティストの方々の歌声は
その日会場に来てくれた皆さんの心にしっかりと届いた事でしょう
さて、いよいよツアーが始まりますね!
お身体に気をつけて、頑張ってくださいね