我が良き友よ

屋敷貢一と_01

「我が良き友よ」は、1975年、吉田拓郎さん作詞作曲の、かまやつさんのヒット曲。懐かしい。

写真を撮ってる時は、そうは思わなかったんだけど、書き始めると長い話になることに気が付いた。
いや、こいつがねえ、いてねえ、楽しかったんだよなあ。俺が17歳・・高校2年からの腐れ縁ちゅうか、もうちょっといいか?俺の青春じゃねえ、この顔見るとねえ、一気に戻るんよねえ。

うちのかみさんとは、俺より古い。そんなこんなで、今日は、広島県は呉からお見舞いに来てくれました。で?っかいブーゲンビリアを持って。

うちの高校には、フォークソングクラブという、夏の合宿が非常に楽しいクラブがあって、そこの部長を俺がやらせてもらってた年に新入生として入ってきた中の一人なんだけど、彼は、そのとき既に、Gibson J45という舶来品のギターをもってやがった!76年くらいだよ!田舎の高校生だよ!
俺は、「エリート」とかいう、ようわからんギターでちまちま練習しとるのに!新入生が、拓郎と同じ ギブソンのJ45 持っとる!?(※拓郎さんのはRound Sholder、屋敷のはFlatで惜しい、がはは。)
しかも、こいつの連れの道方(みちかた)という奴も、ギブソンの J50 持っとる!?どういうこと!?
ただただ、悔しがるしかない現実を目の当たりにしたのだな。お坊ちゃまだもんなあ、いいよなあ。

まあ、そんな、フォークソングクラブの次の部長やってた・・
こいつが、屋敷貢一(やしきこういち)@ミツヤ産業です!

さて、だんだん、思い出してきた・・。ここから、タイムスリップするよ!今から約30年前。
そう、1979年の熱い夏!愛知県知多半島・・篠島でのコンサート・・、みーん、みん、みん・・。




篠島01

これ、屋敷貢一、・・・・・29年前のね。
1979年の7月26日の夕刻から27日の朝方まで、知多半島の先にある篠島で、吉田拓郎のイベントがまもなく始まろうとしている時。
屋敷が支えている、この竹竿の先には手製の旗が掲げられている・・その日の昼間に作った旗・・なぜ、そういう名前にしたのか?そこに生まれたものには分かるのかなあ・・。

このコンサートのMCが詳しく載っているサイトを発見・・“吉田拓郎 ’79篠島アイランドコンサート”・・、拓郎、長渕、小室さん、当時のMCを文字で見て、「そうだそうだ、そんなこと言ってた?!」って思い出した。

篠島03

コンサートの当日か前日。写真の真ん中に良く焼けた上半身裸の後藤社長・・どこの?YUI音楽工房だよね。
当時は、ラジオでしか聴いたことない人たちが、現実に・・、上半身裸で目の前にいるわけです!

篠島04

俺は、やっぱ、ビールが好きだったんだなあ・・。
中央が、初めてのパーマかけた俺で、右が・・・確か、羽田野くん、この後、日本一周したはず、その途中で、拓郎のオールナイト日本に電話出演したのを聴いてビックリした。

篠島07

俺たちは、コンサートの三日前位に篠島に入ったんだと記憶してる。
目的が一緒の彼らとはすぐに仲間みたいになった。

篠島08

これは、行き当たりばったりなんだけど、このコンサートのドキュメント映画が、山本コータローさんの指揮で作られていたのね。
で、何故か俺たちもそれに参加した図。なんかカラフルな女の子達を遠から眺めてる白い帽子が俺。何かね、笑うなあ。サングラスまでかけてるし。
そのDVDは、今も入手できるようだ。

篠島09

ま、何か、盛り上がってるんでしょう

篠島10

会場で振り回す旗を制作中の屋敷貢一。
急に仲良くしてもらって、しかも手伝っている女性は誰だったのか?未だに謎のままだ。

篠島12

これも、当日かな?すごいでしょ。お祭りなんです。

篠島18

数日前から篠島に来ている俺たち。毎日、宿が変わるんだけど、いつも同じ顔が揃うのは、みんな、行き当たりばったりだったからだろう。
そんなある夜、当時拓郎のマネージャーだった渋谷さんと宿が同じで、みんなで労をねぎらっているところ?かな。

篠島20

しっかし、毎日、何やってたんだろう?こうやって昼間は海に行くわけだよね。
何か、適当にポーズ付けてみたりしてる馬鹿な馬鹿者です。みんなで海岸のゴミ拾いとかもやったなあ・・。

篠島21

いい加減、腹減ったし、疲れたし・・今日の宿はどこだ??え?風呂だけ確保、えっ、屋上?
でも、この後、その風呂に入って、冷水を浴びるのが、すげ?気持ちよかったこと鮮明に覚えてる。

篠島24

いい写真だねえ。因みに、篠島の写真は、ほとんど屋敷が撮ってたけど、でも、ほとんど屋敷も写ってるって事は誰が撮ってたんだろう?

篠島25

整理券のための記帳だったかな?3日前でも、40番だったんだなあ。

篠島26

ジャジャーン!これが、屋敷達が製作した「広島組」という旗。2006年のつま恋でも復元したらしい!?
なんだろうねえ?赤いのは。なんだろうねえ?手の跡は。

篠島30

こうやって、当日の朝、8:00頃だったかなあ?会場に入場した。最後の俺たちの宿は、屋上だったものね。
昼間は暑いから、やっぱ海に行って、たぶんビールも飲んで、で、夕刻、やっとコンサートが始まる。
「あ?青春」のイントロが流れたときには・・・、ほんと・・・、なんも言えね?!

ここから、また、元に戻る。お腹が出たものなあ?。白髪多いなあ、屋敷?。
見てくれは、どんどん、おっさんになるけど、中身はなあ、変わらんだろう、そんなに簡単にはなあ。
だから、ほんとは、そう、未熟なまま、おっさんになるって事だけを学んでるような、じゃね?
屋敷貢一と_02
昨年、屋敷は、念願のGibson J-45 Round Sholder を手に入れたらしい。
少しは弾くらしいが、J45を眺めながら一杯やるのが最高なんだって?!変態じゃろ。
屋敷貢一と_03
で、今度は、ビグスビーのトレモロの付いたFender Telecaster White Neck:Rose のビンテージを買うんだって!
屋敷貢一と_04
まあ、社長になったけんね、ご褒美じゃねえ。でも、太田に譲ってもらったテレキャスターMEXに、ebayで落札した”F”Bigsbyを付けようとしている俺が好きだ。
屋敷貢一と_05

屋敷貢一と_06
最後に。
かみさんのこと、ご心配いただいている皆さん、いつもありがとうございます。
昨年末から続いた抗ガン剤治療を6月に終え、7月には広汎摘出手術を無事終えました。
手術は13時間に及びましたが、お陰様で、予想以上に良い結果になっています。
あとは、最終的な治療として、3回の抗ガン剤治療で治療は終了です。
日に日に元気になっていて嬉しいです。
うちの家族の血液型は、かみさん以外の4人はB型。
O型がいないとねえ、大変。
明日、あと2回の抗ガン剤治療を残して退院です。
プーちゃんも喜びます。
感謝感謝!。

11 Comments on “我が良き友よ”

  1. >skip bass
    こら?、生きとったか?!たまには連絡せんかい!今度逢ったら、また中野の愚痴でも聞いてあげよう。
    >森さん
    あれは、森さんではなかったですか?、すみません。にしてもメモとか、整理券とか残してあるなんて凄い!見たい!大事にしていつか見せてくださいね。俄集団に16人!?そんなにいたんですか、楽しそう。
    >山本
    元気か??!コメントありがとね。いや?、山本の太ももには負けるよ?。俺なんか最近細?くなってきて、そこに年齢を感じるよ?。

  2. yahoo!のトップでclass新メンバーの記事があって何??と思って久しぶりにpaper islandにアクセスしてみた。しばらくです、いろんなことがあるね。でも奥様が元気になられて何よりです。日浦君ががんばって家族や奥様へ強い愛情をそそいだ結果だね。すごい!

    俺にはそんな力がないかも… でも、俺もがんばる

  3. 日浦さん。写真に写ってるのは僕ではありません、残念ながら。

    当時のメモが出てきました。それによると「広島組」の(参加させていただいた)メンバーは
    16人。うち女性が2名。札幌の人もいたんですね。それから、違う紙の下になってて気づかなかったんですが、フェリーを降りたところで渡された整理券の右下に7/24の赤い文字が。
    どうして今まで気づかなかったんだろうなあ。ばかだったなあ。
    というより、こんなものを取っとくほうがどうかしてるかなあ。

  4. 屋敷からのメールで、このブログを見てなつかしくなったよ。
    日浦、腹が出すぎ^^ 屋敷もそうだね。運動しろよ。

    日浦は関西行ってたけど、夏冬の休みのたびに広島に帰ってきて色々デモテープを
    作ってきてたよね。並木通りでみんなでバカやってたのもこの頃。
    面白かったね。あの頃は。

    かみさん、病気だったのか。知らなかったよ。でも、快方に向かっているようで安心した。
    良い先生と良い治療法法、見つかったみたいだね。がんばれよニンモー。

    俺も岡山に単身赴任になって、はや3年半。とはいっても毎週広島かえってるけどね。
    ちょいちょい最近日浦もTVに出たとこ見てたけど、声は昔のままだね。元気そうで何より。

    退院して広島にかみさんと戻ったら、皆で会いたいね。

  5. >廣瀬さん、よこはねさん、ふぁさーどさん
    メッセージをありがとうございます。
    まだ少ししんどい様子ですが、今日なんか、長女の高校の学園祭が見たいと言うので行ってきました。クラスの出し物で、ピノキオ役を娘が演るというので気になったみたい。母親っちゅうのは強いですねえ。ほんと、あと少しなので頑張ります。

    >城さん、屋敷
    連絡取り合ったかなあ?忘れたかな??忘れないよ?!・・・、人は忘れる生き物だからねえ。俺なんかも時々屋敷のこと、すっかり忘れてるものね。懐かしさとは、脳が記憶の掘り起こしを行うことなのかも。

    >森さん
    そうそう、篠島の蟻は大きかった!思い出した。でも、小高い丘は行ったかなあ?最後の宿は、屋上で雑魚寝だったよね?、後から来る予約客に部屋を追い出される形で。ほんとに島に入ってからのことは無計画だったなあ。それで、気持ちだけ熱くて無計画な奴らが、コンサート前日の夜に、屋上に集ってて・・・、でも、既に何故かみんな仲間になってたからねえ、面白い。
    みんなで歌を歌ってたんだ?屋上で。誰かギター持ってきたんだろうなあ。
    いや?!忘れがたい・・”夏の日の1979”だったし、思い出すと、未だに背中が熱いよ。
    ね、ね、森さんって・・・、違ってたらごめんね、もう30年も前だからね、上の写真で3人でビール飲んでる人じゃなかったっけ?!?
    ま、とにかく、メッセージをありがとうございます。
    近いうちに、屋上組で同窓会でも出来たらいいね。

  6. 懐かしんでばかりはいられませんが、やっぱり懐かしいですね。
    僕も3,4日まえに篠島入りしたのかな。お金があんまりなくて、
    それに何にもない島みたいなことラジオで言ってたもんだから
    名古屋の駅前で、日持ちしそうなパンまて買って。電車とバスと
    フェリー乗り継いで。1人旅なんてしたことなかったですから、
    ちょっぴり不安もありました。
    でも、改めて、皆さんお世話になりました。ありがとうございました。
    屋上で、皆さんと歌った歌は忘れられません。そう言えば、広島からの
    道中を録音してきたやつをラジカセで流してくれませんでしたっけ。

    いろんなことを思い出します。あの島で見たアリの、やたらでかかったこと。
    やることがなくて、小高い丘みたいな場所に上ったら小学校と神社が
    あったこと。1曲目で立ち上がったら後ろから、座れと怒鳴られたこと。
    流星で肩を組んだこと。「広島組」の旗を持った屋敷さんを肩車させてもらったこと。
    あの頃はやせてたんですよね。本当にいい思い出です。

    あのコンサートに参加したみんなに感謝したい気持ちです。
    ありがとう。

    そして、日浦さん、勝手なことばかり書いてすみません。
    屋敷さん、素敵な頁を紹介していただきありがとうございます。

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